「留学体験記」The University of Edinburgh, School of Law, OAさん
・はじめに
私は数年前から、テクノロジーと法の関係、なかでもAIに関する法的課題を専門的に学びたいと考えていました。今回、留学先のコースを選んだ最大の理由は、多種多様なバックグラウンドを持つ教員・学生を擁するエディンバラ大学において、国内でAI法を学ぶだけでは得にくい国際的な視点を身につけたかったからです。AIは国境を越えて影響を及ぼす技術なので、各国がそれをどのように受け止め、どのように規制し、どのように活用しようとしているのかを現場で確かめることには大きな意味があると考えました。もちろん、英語でのディスカッションに参加できるのか、専門用語を本当に使いこなせるのか、自分の意見を的確に伝えられるのかといった不安は多々ありました。それでも、「その挑戦があるからこそ留学する価値がある」と自分に言い聞かせ、渡航を決めました。
・最初に感じた衝撃
最初の授業では、世界中から集まった学生が間を置かずに発言し、英語の議論が驚くほどの速さで進む様子に圧倒されました。アメリカ出身のある学生は新しい挑戦の芽をつぶさないという発想を当然の前提に置き、中国出身のある学生は国家戦略としての管理を重視し、アイルランド出身のある学生は人権と倫理を守るための強い規律を求めるという姿勢を鮮明に示しました。同じAIという技術を見つめながら、何を「当たり前」とみなすかが国ごとに大きく異なるのだと、肌で理解しました。議論の中心になったテーマの一つが「AIが生み出す文章や画像に著作権を認めるべきか」でした。専門的な英語のスピードについていくのは容易ではありませんでしたが、思い切って発言すると、必ずと言ってよいほど「日本ではどう考えられているのか」と問われます。私は、拙い英語ながら、日本では単一の包括規制を一気に整えるよりも、既存法の解釈や行政の指針、業界ガイドラインを組み合わせて技術変化に機動的に対応する設計思想が比較的強いこと、そしてAIの学習段階と生成物が社会で利用される段階とでは論点が異なるため、前者ではイノベーションとの両立を、後者では表示や説明、利用者保護を重視して考える必要があることを述べました。完璧な英語である必要はなく、自分の視点をテーブルに置くことこそが参加の鍵なのだと、このとき強く実感しました。
・思考実験との出会い
授業では、AIをめぐる古典的な思考実験が繰り返し取り上げられました。アラン・チューリングの「イミテーションゲーム」は、文字だけのやり取りで相手が人間か機械かを判定者が見分けようとする設定を用いて、機械が人間と継続的に区別できない応答を示すなら、その機械は知能を示していると言えるのではないか、という問いを提起します。ジョン・サールの「中国語の部屋」は、部屋の中にいる人が中国語の意味を理解していなくても、規則に従って記号を操作するだけで中国語の質問にもっともらしく答えられるという想定から、言葉を扱えることと意味を理解することは別ではないか、という視点を提示します。
生成AIが日常に浸透した現在、これらは机上の哲学にとどまりません。たとえば、人間と区別がつかない対話が可能になりつつある以上、AIである旨の表示をどの場面でどの程度求めるのか、誤認や欺罔をどう防ぐのかという課題が現実味を帯びます。また、AIが人間と同じように「理解」しているわけではない可能性を前提にするなら、医療・金融・教育などの高リスク領域では、どの水準の説明可能性や人による監督を確保すべきかが重要になります。授業後のディスカッションでは「ChatGPTの回答は理解を伴うのか、統計的な出力にすぎないのか」という問いが白熱しましたが、議論は最終的に、どの基準で規制や責任分担を設計するのかという実務的な線引きの問題へと収れんしていきました。哲学的な枠組みが、具体的な制度設計や責任論のための有効な"ものさし"になるのだと、現場で実感しました。
・日本に持ち帰りたいこと
今回の留学を通じて得られた学びは多くありますが、本質を抽出すると、以下の二点となると考えています。
第一に、比較の視座の重要性です。AIをめぐる法的・倫理的課題は国境を越えて連動します。国内だけで議論していると、自国の慣行や前提に引きずられがちですが、各国の規律設計・運用を並べて見ることで、新たな選択肢やリスクが可視化されます。日本の議論にも、他国の「当たり前」との差分を丁寧に持ち込み、政策判断の幅を意識的に広げていければと考えています。
第二に、思考実験という比喩を実務に活かすことです。抽象度の高いAIの論点も、チューリングのイミテーションゲームやサールの中国語の部屋のように「具体的なイメージ」に落とし込むと、専門外の関係者とも共通言語が生まれ、合意形成や説明責任の議論が前に進みます。日本でも、政策立案やガイドライン作成、社会への説明の場面で、こうした比喩が意図的に活用されるよう、当局や関係者に粘り強く働き掛けを行っていきたいと思います。
・おわりに
今回の留学は、知識を増やすだけでなく、自分の視点を世界の多様な意見の中に置き直す作業でもありました。英語での議論に身を投じ、哲学的な問いを手がかりに実務の制度設計へ橋をかけ、各国の「当たり前」に触れることを重ねるうちに、新しい自信が芽生えました。AIの未来は一国だけでは決まりません。今回の学びを出発点に、日本から国際的な対話へ具体的な提案を携えて関わっていけるよう、必要なスキルをこれからも丁寧に磨いていきたいと考えています。
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